【”キングダム”関連人物列伝】《山の民》と同盟を結んだ『穆公』ってどんな人?

の歴史を辿る記事・第2弾。

 

どうも、皆さん。

歴女”という要素も併せ持つ管理人・もずく(@mozuku_on7sea)です。

 

《“キングダム”関連人物列伝》という事で

前回(始皇帝)に引き続き、

今回は穆公(ぼくこう)に関する記事をお届け。

 

“キングダム“作中ではあまり語られない

穆公について、詳しく見ていきます。

 

それでは、古代中国の歴史を紐解いていきましょう。

スポンサーリンク

《山の民》と同盟した秦の王

映画『キングダム』に登場する

長澤まさみ氏が演じる“楊端和(ようたんわ)“。

(原泰久・作『キングダム』より、引用)

異民族である《山の民》を率いる女傑です。

作中でも、美人で強くてカッコ良い!

 

劇中では、彼女たちの祖先と

同盟を結んだ秦の王がいた事が語られます。

その王が、第9代秦王『穆公ぼくこう)

(原泰久・作『キングダム』より、引用)

《山の民》と同盟を結んだ『穆公とは

一体どのような人物だったのか?

以下、詳しく見ていきましょう。

 

スポンサーリンク

『穆公』って、ズバリこんな人物

人材登用を積極的に行った

穆公は秦の王となってから間もなく、

隣国の「晋」の王室から妻を迎えました。

 

その召使いの中に百里奚(ひゃくりけい)という者がいました。

彼は秦から逃げ出すも、穆公は彼を連れ戻す事に。

百里奚が優秀な人材だという評判を知っていたからです。

穆公が百里奚と会った時、百里奚は既に70代のおじいちゃん。

家柄が良いワケでもない。

しかし、三日三晩話してみて、評判は間違っていない事が分かると、

彼を政治の重要なポストにつけました。

しがない1人の召使いが、国の大臣になったんです!

もずく
何というサクセスストーリーww

 

穆公は、百里奚が推薦する“蹇叔(けんしゅく)”という人物を採用し、

西の異民族であった“由余(ゆうよ)”という人物を厚遇。

【出自を問わず、人材採用に努める】といった姿勢は

『三国志』の曹操にも通じる所がありますね。

カエデ
「ただ才のみ是を挙げよ」ってヤツですな。

 

西の異民族・西戎(せいじゅう)の覇者となる

秦の西にいた異民族・西戎(せいじゅう)。

西戎の王は、穆公が優秀な王であるのを聞いて

家臣の由余(ゆうよ)に視察させる事に。

 

由余と会った穆公は、彼が得難い人材である事を見抜くと

何と西戎からの引き抜きを画策。

女を貢ぎ物として西戎の王に送り、堕落させました(!)。

女にうつつを抜かした西戎の王は、由余が諫めるも聞く耳を持たず。

また、穆公は西戎の王が

由余を秦に渡すように仕向けました。

そんな経緯で由余は西戎を離れ、秦に仕える事に。

 

そして、西戎を知り尽くした由余の策略を使って

西戎を平定し、広大な領土を入手する事に成功!

後に「穆公に、異民族から多くの貢ぎ物が運ばれた」と語られています。

 

人徳の王

隣国の晋で後継者争いが起きた時、穆公は

夷吾(いご)という晋の王族が、晋王になるのを助けました。

 

夷吾は予め「王の位に就けたら、8つの城を差し上げます」

約束していたものの、何とその約束を反故に。

結局、8つの城は穆公に明け渡されず

もずく
何たるホラ吹き野郎だ…!

 

(原泰久・作『キングダム』より、引用)

ある時、晋の国で飢饉(ききん)があり

食糧難に陥ったため、穆公は食糧の援助を求められました。

 

『8つの城を明け渡す約束』が守られなかった事もあって、

「晋の国が苦しんでいるのに乗じて、攻めてしまいましょう!」

という意見がありました。

しかし、百里奚の「百姓に何の罪がありましょうか?」という意見もあって

穆公は、食糧を晋の国に送る事に。

 

しかし、晋王となった夷吾は、穆公とは正反対の人物。

(原泰久・作『キングダム』より、引用)

穆公が晋の国を助けた翌年、今度は秦の国が飢饉で食糧難に。

前年に助けてもらっておきながら、晋は秦に攻め入ってきたんです!

カエデ
何て薄情な!(怒)

 

穆公は応戦し、自らも戦いました。

晋との戦いは、秦にとって厳しいモノに。

穆公自身も負傷し、窮地に陥ったものの

穆公に恩義がある300人の兵士が穆公を助け、逆に晋王を捕らえました。

 

補足:穆公を救った300人の兵士

この兵士たちは、過去に穆公の良馬を殺してしまったものの

穆公は「良き王は、家畜のために人を処罰してはいけない」と言って、

彼らに酒をふるまって罪を許した事があった。

その恩に報いるため、死を恐れずに穆公のピンチを救ったんだとか。

このように、穆公は寛大な心を持った王だったんです。

 

ただし、酷い目にあわされた夷吾には

当然ながら相当腹を立てていたらしく、

「夷吾を殺し、神への生贄としてやる!」と宣言した模様。

夷吾の姉である妻の嘆願もあり、結局殺せなかったんだとか。

 

偉大なる先駆者

辺境の土地にある秦の国。

「野蛮な国」「未開の土地」として見下される事が多かったものの、

穆公は東西に領土を広げ、秦を大国にする事に成功。

 

しかし、穆公は秦王に即位してから39年目に亡くなりました。

177人もの殉死者が出てしまい、国力が落ちる程だったとか。

穆公以後、秦は何百年間も低迷する事に。

 

しかし、彼の人材登用の仕方は

後の秦王にとっての先例となり、

商鞅(しょうおう)、范雎(はんしょ)、李斯(りし)といった

外国出身の優秀な人材を登用する土台となったんです。

 

【オマケ】参考にした書籍を一挙公開

 

↑メッチャわかりやすい本です!穆公の事も触れられています。

 

↑『秦本紀第五』は、穆公について記されています。

記事中では紹介しきれなかった人間味のあるエピソードも収録。

 

↑『商君列伝第八』にて、穆公について触れています。

 

参考文献ではないけど、オススメの本がコチラ。↓

『第4話/漂白の覇者・文公』にて、ちょこっとだけ登場。

隣国・晋の王との絡みがしっかり描かれています。

 

終わりに

以上、《山の民》と同盟を結んだ”穆公”に関する記事を

お届けしました。

秦には、こんな偉大な王がいたんですね。

 

《”キングダム”関連人物列伝》は、まだ続く予定です。

乞うご期待!

 

という具合で以上、もずくがお送りしましたー。

あわせて読みたい《関連記事》

”キングダム”に関する記事はコチラ↓

 

スポンサーリンク

 

コメントを残す