始皇帝のひいおじいちゃん、スゴイ人だった。
どうも、皆さん。
『キングダム』にどハマり中!管理人のもずく(@mozuku_on7sea)です。
皆さん、映画『キングダム』はご覧になりましたか?
劇中で、大沢たかお氏が演じるのが
圧倒的な存在感を放つ大将軍 ”王騎(おうき)” 。
彼は、主人公・信が目指す《天下の大将軍》のモデルとなりました。
そんな王騎将軍には、若き日に仕え、
“戦神”として敬愛する秦王がいました。
(原泰久・作『キングダム』より、引用)
今回は、【”キングダム”関連人物列伝】第3弾として
王騎将軍が仕えた秦王《昭王》に関する記事をお届け。
ひいおじいちゃんなんだよ。
昭王とは、一体どのような人物だったのでしょうか?
それでは、古代中国の歴史を紐解いていきましょう…。
目次
先王の不慮の死→人質から王へ
紀元前307年、第27代秦王・武王(ぶおう)が
骨折により亡くなりました。
彼は孟説(もうえつ)という力士との力比べで、
鼎(大きな釜)を持ち上げ、脛骨を折って亡くなったのだとか。
発展してないだろうから…。
武王には子がいなかったので、弟・昭王が後を継ぐ事に。
当時、彼は燕(えん)の国の人質(!)でしたが、
魏冄(ぎぜん)という叔父の協力と
隣国・趙(ちょう)の王のサポートにより、秦王の座につく事に。
何とこの時、彼は未成年!
即位して間もない頃、昭王の弟たちが反乱を起こしたものの、
叔父・魏冄が鎮圧しました。
何だかスゴイ系の叔父・魏冄の専横《傀儡政権》
即位時は幼かったため、
母である宣太后(せんたいごう)が政治を取りしきり、
その弟である魏冄が実務を行うカタチに。
しかし…このスゴイ系の叔父・魏冄は公私混同が酷かった!
彼の蓄えた財産は、王室の財産以上だったとか。
また、戦をして自分自身の領地を広げようとした事もありました。
同時に、有能な人物でもありました。
宰相となってから2回辞任したものの、すぐに復職。
また、将軍としても活躍し、秦の領土拡張にも貢献したんだとか。
他にいなかったのかもねぇ。
さらに彼は、白起(はくき)という人物を推薦し、
将軍の地位につけました。
彼は、王騎と同じ“六将軍”として
その名を轟かせた大将軍なんです。(詳細は後述)
賢臣・范雎の登用→実権の掌握《傀儡時代の終了》
昭王は、即位して41年目に
ようやく実権を握ることができました。
結構歳もとっちゃったね…。
それは、『キングダム』作中で
商鞅(しょうおう)と並ぶ”二大丞相”と称される賢臣・范雎(はんしょ)の
登用によるモノが大きいんだとか。
隣国・魏(ぎ)の出身であった范雎曰く、
「秦の王様なんていない。穣侯(=魏冄)と太后様がいるだけだ。」
昭王が持つべき国の実権を、
魏冄と宣太后が握っている事を指す言葉ですね。
登用され、自らの献策が採用されるようになった頃合いを見計らって、
范雎は昭王にこう進言したのだとか。
「歴史上、部下に任せきりにして、
自ら政治を取り仕切ろうとしなかった者は滅んでいます。
私は、王の地位が奪われるのを恐れます。」
そこで昭王は、魏冄や宣太后、その一族の者を追放等して、
権力の座から引きずり下ろしました。
有能な参謀を得て、昭王は
やっと権力を自らの手にする事ができたのです。
見果てぬ夢【目指すは中華統一】
昭王は『西帝』を自称し、強国だった斉(せい)の国の王に
『東帝』の称号を与えた事があります。
斉の王が名乗るのをやめたため、昭王も名乗らなくなったのですが…
“王”よりも上位の称号である“帝”を自称していた事から、
中華統一を夢見ていた事がわかるエピソードですね。
昭王は、魏冄の専横を許していた時期も
実権を取り戻した後も、
秦の領土拡張に邁進しました。
昭王と白起《チート級の大将軍》
(原泰久・作『キングダム』より、引用)
『史記』を見ると、
白起、王齕(おうこつ)、摎(きょう)といった
『キングダム』作中での【六将軍】のモデルとなった人物が活躍し、
武功を上げた事が記されています。
中でも、白起は別格ですね。↓
- 魏の都を攻め落とし、61の城を奪った
- 楚(そ)の国の都・郢(えい)を陥落させた
- 韓(かん)の国や魏、趙の大将たちを捕らえ、13万人の首をとった
その強さ、まさにチート級!
白起の戦役の中で、最も有名なのが”長平の戦い”。
『キングダム』ファンなら既にご存じの
秦が趙から深く恨まれる原因となった戦いです。
(原泰久・作『キングダム』より、引用)
趙の軍勢と戦った白起は勝利し、
降伏した40万人の兵士を生き埋め(!)にしました。
白起は、勢いに乗って趙の首都を攻めようとしたんですが…
白起の栄達を恐れた范雎が、昭王に和議を結ぶように勧め、
昭王は趙と和睦したため、首都攻めは果たされず。
コレがいけなかった。
白起は、宰相・范雎に不信感を抱き、
コレ以降、病気と言って戦いに出なくなりました。
昭王との関係も悪くなり、遂に白起は自害…。
昭王自身が、戦略を見誤ったのでしょうか?
または、蜜月関係となっていた范雎の進言を
飲まざるを得なかった?
もしくは、白起を推薦した魏冄は追放されており、
彼の後ろ盾がいなかったのも一因かもしれません。
白起を失い、中華統一に向けた動きは
一時失速してしまうハメに…。
夢は道半ばに→次代へ
(原泰久・作『キングダム』より、引用)
その後も、昭王は他国への侵略を続けるも
中華統一の夢は叶わず…
在位56年目に亡くなりました。
- 他国の人質→帰国して王となる
- 王弟の反乱を乗り越え、権勢の強い宰相を追放→権力を取り戻す
↑この過程は、不思議と
始皇帝・嬴政(えいせい)のソレと重なりますね。
(原泰久・作『キングダム』より、引用)
(原泰久・作『キングダム』より、引用)
中華統一に邁進するも、白起を失うというミスを犯し、
道半ばで没したものの…
彼の在位期間中、秦は以前にも増して強国となり、
中華統一に大きく近付いたと言えます。
ってのはあったかも…?
昭王が抱いた中華統一の夢は、後に
曾孫である嬴政によって成し遂げられる事になります。
【オマケ】参考にした書籍を一挙公開
もっと深く知りたい方、興味のある方は是非ご一読を。
↑キングダムの世界を知るには、コレが一番!
↑『秦本紀第五』は、昭王について記されています。
キングダムの六将軍の名前も、チラホラ登場。
↑『穣公列伝 第十二』には、魏冄の事が記されています。
単独の列伝を入れるほど、史記の著者・司馬遷は
彼を高く評価していたのでしょうね。
↑范雎について、『范雎・蔡沢列伝 第十九』に記されています。
彼が、昭王の親政にどう貢献したかが記されていますよ。
(ちなみに…蔡沢というのは
”キングダム”ファンならご存知・呂不韋四柱の一員)
終わりに
以上、王騎将軍が仕えた秦王《昭王》に関する記事をお届けしました。
王騎将軍の人物背景として、昭王の事を知っておくと
劇中での彼の見方が変わるかもしれませんね。
という具合で以上、もずくがお送りしましたー。
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